平清盛 第4話 殿上の闇討ち あらすじ [NHK 大河ドラマ 平清盛 予告]

平忠盛が武士として初めて殿上人になるとの知らせが平家に舞い込みます。



朝廷に忠誠を尽した功が認められたのです。



北面の武士として務める平清盛も父の出世はうれしい出来事でした。







平忠盛 VS 源為義







貴族たちの中には武士の分際での出世を面白くなく思う者も多かったようです。



殿上人として出世した平忠盛と、おくれをとった源為義。



一族や息子のために二人の男は何を思い、どう動くのか!



そのひとり、藤原摂関家のおさ・忠実は、配下の武士・源為義をそそのかし、殿上にあがる忠盛に…。


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藤原知行

大河ドラマ「平清盛」第1回~第4回、とくに第4回「殿上の闇討ち」について重要情報
(加賀国在住 藤原知行)
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1.「殿上の闇討ち」事件の主会場(殿上)に、19歳の藤原俊成が居合わしていた。

2.闇討ち事件の40年前、平清盛の祖父の平正盛が、加賀国国府に検非違使として在庁していた。永長2年(1097年)に平家が日本史の表舞台に突如として登場するわずか5年前。
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 1月29日放送の大河ドラマ「平清盛」の第4回「殿上の闇討ち」で描かれていましたが、その闇討ち事件(長承元年1132年11月23日)が起こった表舞台の宮中で「豊明節会(とよあかりのせちえ 新嘗祭)」と4人の舞姫による「五節の舞」が行われていました。

 今まで、『平家物語』でも、その解説でもまったく語られたことがないのですが(もちろん歴史学者や歴史小説家も知りません)、その宮中行事の中心に、平安末期から鎌倉時代初頭にかけて、和歌の第一人者となる藤原俊成(藤原定家の父、当時19歳で藤原顕広という氏名だったのでほとんど気づかない)がいました。これは某(それがし)の日本史上での大きな発見だと自負しております。

 この時、俊成が加賀守(今の石川県知事のことで、6年間今の小松市古府町付近にあった加賀国国府に赴任していた)として、能登守(もちろんこれも今の石川県知事)とともに、このドラマの主題となった「殿上の闇討ち」事件が起こっていた表舞台の殿上で行われている「豊明節会(新嘗祭)」の最重要な幹事役(4人で構成)をつとめており、能登守ともに節会のハイライトである「五節の舞」の4人の舞姫のうち2人を提供しておりました。これは、『中右記』(長承元年11月20日~23日条)その他で確認できます。

 また、この事件の40年前の寛治6年ごろまで、平正盛が 、加賀国国府に在庁官人の検非違使(今日の石川県警本部長・金沢地方裁判所長・金沢地方検察庁長官にあたる)として実際に赴任していました。永長2年(1097年)年に平家が所領を六条院に寄進し、日本史の表舞台に登場するわずか5年前です。これは、『平家物語』「南都牒状」や『為房卿記』(寛治4年~5年条)その他で確認できます。


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ホームページ(藤原知行著作集)http://www.tvk.ne.jp/~opmugasc を見てください。

by 藤原知行 (2012-02-04 21:24) 

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